妊娠から出産まで④
そしてついに出産日。
ちなみに私は旦那に立ち会ってもらいたかったので、まず計画出産にするのと、痛みに耐えられる自信もなかったので、計画無痛で出産することにしていました。
計画出産にすれば、単身赴任中の旦那も前もって休みをもらって、出産に立ち会ってもらえるのと、前もって準備できるのもよかったです。
ただ、計画出産日より前に陣痛がくる可能性もあるので、念のため陣痛タクシーの登録もしておきました。
そこまでしなくても、旦那が単身赴任中なら里帰り出産にすればいいのにと思うかもしれませんが、実家の両親との関係があまりよくないので、里帰り出産は最初から考えていませんでした。
私の場合、予定日が12月27日で予定通りなら、旦那の年末の休みがちょうどその頃からだったので、ちょうどいいなと思っていたんですが、予定日よりも早く生まれそうで、最短で18日から計画できますと言われたので、旦那と相談し、立ち会ってもらうために出産日に帰ってきてもらい、生まれたらまたすぐ仕事場に戻る事になるけど、仕方ないねと話し、出産希望日を22日にし21日に入院することになりました。
そしたら、その時の旦那の上司が素晴らしい神上司で、「そういう事なら21日から年末休みにしていいよ」と言ってくださり、旦那の年末休みが何と2週間くらいもらえることになりました!笑
初めての出産で、計画無痛とはいえ不安でいっぱいだった私にとって、その時の旦那の上司には感謝の気持ちでいっぱいです。
入院の時と退院の時に1人でどうしようかなと悩んでいたんですが、どちらも旦那が一緒に来られる事になり本当に嬉しかったです。
そして入院日の診察で「だいぶ降りてきてるので、すぐ生まれるかもねー。」なんて言われたので、旦那もその日は病院に泊まり、夜に促進剤を入れてもらい陣痛を待ったのですが、意外と陣痛が来なかったので、朝に旦那には一旦家に帰ってもらいました。
しかしその後わりとすぐに陣痛らしき痛みがきて、しばらくしたら破水したので、旦那に連絡をして分娩室へ異動しました。
そこから痛みのレベルを数字で伝えて、それに合わせて薬を入れてもらう無痛分娩に切り替わったのですが、無痛とは言ってもそこの病院はあえて3割くらいの痛みでやってますというところだったので、実際は結構痛かったです。泣
しかし薬を入れすぎると、お産の進みが悪くなるらしく、最低限の量を入れているようでした。
私は痛くて辛かったので痛みのレベルを少しオーバーに伝えて薬を入れてもらったんですが、その結果「進みが速いからすぐ生まれそうだねー」と言われてたのが嘘のように進みが遅くなってしまい、「あと30分くらいで生まれそうだよ」と言われてから2時間くらい経っていました。むしろそろそろ生まれないとヤバイというところまできて、急遽吸引分娩になり、もし吸引でいけなければ、帝王切開になりますと言われました。
”え!?嘘でしょ?帝王切開になったら無痛分娩にした意味がなくなる。自然分娩の痛みよりは軽い痛みだろうけど、それでもここまで耐えて頑張ったのに帝王切開は嫌だ。何とか頑張ってくれー”とお腹の子にお願いしていました。
そしてそれに答えてくれるように、お腹の子は頑張ってくれて吸引分娩で何とか無事に生まれてきてくれました!
すぐに生まれそうと言われていたのが、思いのほか難産になってしまいましたが、無事に生まれてきてくれて本当によかったです。
吸引分娩になった為、旦那の立ち会いはできませんでしたが、すごく嬉しそうな旦那の顔を見て、頑張って産んでよかったなと思いました。
妊娠から出産まで③
塩分は気にして控えていましたが、まさか妊娠糖尿病の負荷検査で引っかかるとは思ってもいなかったので、再検査になった時はショックが大きかったです。
再検査の日まで、妊娠糖尿病の事をネットで調べまくり、再検査は大体大丈夫な事が多いという意見が多かったので、それを信じて祈るばかりでした。
そして再検査を受けて、結果がわかるのは次の検診なので、まだ安心できず早く結果を知りたくて、1日1日がすごく長く感じました。
なるべく考えないように過ごし、やっと検診の日がきました。
いつもは検診の日が来るのが嫌でしたが、この時だけは待ち遠しかったです。
結果も”そんなに引っかかる人もいないみたいだし、多分大丈夫だろう”と、なんとなく思っていました。
旦那も「遺伝とかの影響が大きいみたいだし、親戚中誰も糖尿病じゃないんだし大丈夫だと思う」と言っていました。
そして先生が「この前の検査の結果ですが、全然問題ないんですが」
私「よかったぁ」
と言った後に
先生「ちょっと少し注意するところが・・・」と言って
私「え?」
先生「糖尿病ではないけど予備軍と言いますか、妊娠糖尿病って言うんですが」
私「・・・」
今までマイナスな事を考えがちでしたが、この時が1番気持ちがどん底まで落ちた瞬間でした。
”先生、全然問題なくないじゃん!問題ありありじゃん!一瞬安心した私がバカだった!”
ショックでその後の先生の話があんまり頭に入りませんでした。
その後も旦那に報告し、励ましの言葉をかけてもらったと思うのですが、正直よく覚えていませんでした。
”これからどんな生活になっちゃうんだろう。入院しなきゃいけないのかな・・・”
ネットで妊娠糖尿病の事を調べまくった時に、入院するって話がたくさん出てたので、”私も入院か”と落ち込んでいましたが、なぜか入院はせず、眼科を受診するよう言われたのと栄養士さんと話をしただけでした。栄養士さんもすごく優しくて、「あなたの場合、HbA1cが低い方なので、99%は大丈夫だから少し食事を気にするだけで大丈夫」と言ってもらえて、それまでの不安な気持ちが一気に吹き飛び、気持ちがラクになりました。
私が検査で基準値を超えてたのは、空腹時・1時間後・2時間後の検査の中の1時間後の数値だけでした。
検査結果が出た日から栄養士さんと話す日までの食事内容を、メモして持ってきてくださいと言われていたので、持って行って見てもらった時、すごく褒められて更に元気になりました。
褒められて伸びるタイプなので。笑
ネットで調べまくって、いろんな人の経験を参考にさせてもらったおかげです。
そして血糖値の上がりやすい食べ物や食べ方などを教えてもらい、特に言われてないけど、何となく6回食にしてみました。
すると体重が若干減り、結果的に出産前で+4kgにおさまりました。
食べる回数が多いのに体重は減るので、本当に不思議ですよね。
そして37週を超えていよいよNST検査です。
初日は異常なしでしたが、2日目の時から結果が少し気になるとの事で、念のため次の日もモニターをしました。そしてまたすごく悪いわけじゃないけど心配なので・・・と言われ、その次の日も。先生はかなり慎重なタイプと病院のクチコミなどで見ていたので、そこまで心配していませんでした。
結局3日連続でモニターをして、3日目で大丈夫と言われ、出産日まで病院に行かなくて済みました。
妊娠から出産まで②
妊娠がわかった時の正直な気持ち・・・
それはそれは不安でいっぱいでした。
もちろん嬉しい気持ちもあるけれど、基本旦那が近くにいないので、”何かあった時にどうなっちゃうんだろう”とか”つわりが辛くてストレスたまりそう”とか。(つわりはそれなりにあって食べづわりでした)
なにより初めての妊娠なので、わからないことだらけだし、ネットで調べまくっては落ち込んだり、不安になったり、逆に”大丈夫だ。よかった”と安心したり。
まず、たばこが吸えなくなった事が辛い。大好きなお寿司も食べられない。レアステーキもダメ。あー食べたいよ~!イライラ・・・みたいな。笑
人からしたら”母親の自覚が足りない””大人なんだから我慢しろ”と思われるかもしれません。
それでも食べる事が大好きな私にとっては大変な事でした。
食べられないと思うと余計に食べたくなるんですよね。
人によってはそこまで食べるものも気にしなくていいんじゃない?と言うかもしれませんが、ちょっとでもよくないとわかってるなら、できるだけやめておこうという気持ちがありました。
”せっかく産むなら何の障害もなく元気な子を産みたい”
実は私と旦那は2人ともアトピーやら鼻炎やらでアレルギー体質なので、子供も高確率でアレルギー持ちになるだろうと思って、私自身アレルギー体質な事が、本当に嫌で辛かったりするので、子供にも辛い思いをさせたくないと。
それも子供を作りたくない理由の1つでした。
なので、できるだけアレルギーの出やすい食べ物などは控えるようにしていました。
でもそうなると”何だったら食べていいの?食べられる物全然ないじゃん”みたいな感じでストレスが溜まってくるので、たまには息抜きで外食したりはしました。
元々旦那とよく美味しいお店を見つけては食べ歩きみたいな事をしていたので、月1回の旦那の休みの時に外食するようになりました。
しかしそんな生活もそう長くは続けられず、妊婦健診で軽い浮腫みが出始めて塩分控えめ生活にしなければならなくなり、外食は塩分が多いので、あっという間に味のない食生活になりました。泣
そして私は妊婦健診が大嫌いでした。体重や浮腫みチェックなど、毎回試験を受けてる気分で結果を聞く時いつもビクビクしてました。(優しい先生だったので怒られる事はありませんでしたが)
お腹の中の赤ちゃんをエコーで見られるから楽しみと言ってる人が羨ましかったです。
正直浮腫んでると言われても自分ではわからず、どこが浮腫んでるんだろうって感じでした。
もしかしたら普段から浮腫んでるからわからないのかもしれないですね。笑
そんなこんなで何とか30週くらいにきた時、妊娠糖尿病の負荷検査に見事引っかかり、再検査になってしまいました。
妊娠から出産まで①
私は元々ヘビースモーカーで、子供もあまり好きではなかったので、子作りには消極的でした。できなければ夫婦2人だけの生活でもいいなと思っていました。
が、妊娠する1年くらい前に、軽いチョコレート嚢腫になってしまい、症状が進まないようにするには、妊娠するのが1番良いということで、それから経過観察をしながら子作りについて考えるようになりました。
しかし、当時旦那は単身赴任中で、月に1回3~4日の連休で帰ってくるような生活で、生理のタイミングなどもあるので、なかなか妊娠にたどり着くのは困難でした。
とは言っても正直その頃は、まだ心の準備ができてないというか、自信がなかったんですよね。子供を産んで育てることに。
”子供が苦手な私が子育てできる?自分の子供は可愛いから大丈夫と言う人はいるけど本当に?”みたいな。
生理がくる度に、ホッっとしている自分と、今回もだめだったかと落ち込む自分が半々くらいいました。
ちなみに旦那は子供好きなので、ずっと欲しいと思っていたと思います。
その気持ちもわかっていたので、旦那の為にもいつかは1人は欲しいなと思っていました。
ただ、旦那の単身赴任が終わって、一緒の生活に戻ってからがいいなと思っていました。妊娠中も出産時も旦那が近くにいないのはしんどいなと。
でも年齢的にもギリギリの時期になってきていたので、そんなこと言ってる場合でもなく、焦り始めた頃、めでたく妊娠しました。
今思えば旦那は月に1回しか帰ってこられなかったので、奇跡だと思いました。
妊娠がわかった時、旦那はすごく喜んでいて、その顔を見て”よかった”と私も嬉しくなりました。
それからほぼ1人での妊婦生活が始まりました。